江戸の風俗や景観を今に伝えるものとして、江戸名所図会の一般的な知名度は決して高くはない。歴史の教科書にもでてくるような広重の名所江戸百景に比べれば、ひょっとしたら「知る人ぞ知る」程度の知名度かも知れない。ちなみに、岩波書店からでている「広重名所江戸百景」は、主役は鯉のぼりのようだが、現在の水道橋付近の神田川が描かれている挿絵が表紙になっている。この岩波書店刊のものは数ある名所江戸百景の解説本の中でも異色といってもいい。ブルックリン美術館所蔵品をもとに編集されたもので、著者はヘンリースミス(ブランドバッグとは断じて関係ない)という人。いわゆる日本人的な学究臭さや変な思い入れがない文章は、素直に頭の中に入る。 名所百景には実はあまり興味はない。名所図会への興味が湧いていった過程で、ちょっと有名な方も見てみるか、その程度だった。名所図会は、よく当時のガイドブックと例えられている。安永9年に京都で出版された都名所図会に端を発した数々の名所図会のまさにラストバッターだ。都名所図会と江戸名所図会では、その発刊には50年近い開きがあるが、編集というか構成方法は本当にそっくりだ。 しかし、そこに使われている挿絵がまるで違う。江戸名所図会の挿絵は、写真のように見ることができる。当時の風景や人々の生活を写真を見るかのように描いているのだ。江戸時代のものだから、挿絵という言葉を使っているが、私にとっては写真のように精巧なイラストに見えるのだ。このイラストを担当した長谷川雪旦に関しては、あまり詳しい資料は残っていない。しかし、ずば抜けた感性と技術を持っていた人には間違いない。 江戸名所図会のイラストには、俯瞰図が多い。俯瞰図にすることで、当時の様子がより鮮明に伝わってくる。しかし、当時の江戸には当然眺望抜群のビルなんかない。こと神田川に関してなら、川は谷底を流れるから見下ろす地形に陣取ることもできたかも知れないが、一連のイラストをじっくり見ると、やはりそんなに都合いい場所があるとは思えない。誤解しないでいただきたい。私は雪旦のイラストにいちゃもんを付けようと思っているのではない。むしろ、驚嘆しているのだ。地形をよく理解して、建物の位置や方位を把握しなければ、こんなイラストは絶対に描けない。もちろん、純粋に絵を描く技術が高くなければ、それを形にすることすらできない。雪旦はそれをやっていたのだ。 上に載せた「江戸東南の市街より内海を望む図」にはまさに仰天もの。江戸橋近辺から隅田川までの日本橋川の流れが描き込まれているが、かなり地形には忠実だ。おそらくこうしたイラストを描く時、地図をある程度手本にしていただろうが、じっさいに眼にすることができない風景をここまで形にするなんて凄すぎる。 とある江戸名所図会の解説本。このイラストは江戸城天守閣で描かれた、などと臆面もなく書いていた。江戸城天守閣は明暦の大火で焼け落ちて、その後再建されていない。もし健在だったとしても、天守閣に登れる人間は限られていて、その中に雪旦が含まれていたとは到底思えない。想像性あふれ、かつ繊細で精巧な雪旦のイラストに対して、あまりにもお粗末なコメント。笑うしかない。
by miura_rt
| 2004-11-29 22:32
| 制作作業
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